2017年04月29日
懐かしいメーカー評価 LS(エルエス)!
次回の続き。
ちなみにLSについては東京マルイと一時期激しいシェアの奪い合いを繰り広げていた。
お互い低価格の商品が主力だったからであるが当初はLS有利、東京マルイ不利では有ったがここでも東京マルイは高精度という武器を持ち合わせていた。
とにかくマルイのハンドガンはよく当たる。
それによって徐々にLSのシェアを奪っていった。
そしてLS最大にして最後の内紛が始まってしまう。
社内人事による抗争が勃発してしまう。
LSという会社はオーナーが社長に君臨し、子供2人が取締役に付いていたのだが長男がエアガン専業メーカーに会社を変えようとしていた事で社長、次男と対立し長男が会社を出てしまった。
そしてLSと対決すべく新会社を立ち上げ、さらにLSのエアガン製品と意識的に競合共作を繰り返してしまったのである。
その会社こそMMC(ミリタリーモデルカンパニー)である。
10ヶ月から1年間ではあったがこれによりLSも自分の会社から分裂した会社を許す訳にも行かず競合共作の製品を出さざる得なくなりマルイと戦う事が出来なかった。
さらに追い討ちが掛かってしまう。
バブル景気である。
表は東京マルイ、裏はMMCと戦っていたら会社としての体力がだいぶ削がれてしまった。
バブル景気は過ぎていた時期(1993年頃)では有ったが当時はバブル崩壊しても「まだ景気は持ち直すだろう」という考えが大半だった。
しかもLSは東京マルイとのシェア争奪戦とMMCとの内紛によりだいふ会社の体力が削がれていた。
そこにメインバンクが新工場建設の計画をLS持ち込んだ。
そしてLSはそれを呑むしかなかった状況におかれてしまった。
「新工場建設しなければ会社の業績も立て直せない!」
とでもはっぱをかけられたのがか、それとも、、、
そして銀行からの融資により岐阜駅前に新工場用の用地を購入した所でとうとうLSの体力が無くなってしまった。
資金繰りが立ち行かなくなってしまい、銀行からの融資返却が出来ず1994年3月に倒産してしまった。
俗にいう銀行からの貸し剝がしによってLSが社運を賭けた第四世代エアコッキングはM93Rが最後になってしまった。
それではまた!
一部訂正しました。
ちなみにLSについては東京マルイと一時期激しいシェアの奪い合いを繰り広げていた。
お互い低価格の商品が主力だったからであるが当初はLS有利、東京マルイ不利では有ったがここでも東京マルイは高精度という武器を持ち合わせていた。
とにかくマルイのハンドガンはよく当たる。
それによって徐々にLSのシェアを奪っていった。
そしてLS最大にして最後の内紛が始まってしまう。
社内人事による抗争が勃発してしまう。
LSという会社はオーナーが社長に君臨し、子供2人が取締役に付いていたのだが長男がエアガン専業メーカーに会社を変えようとしていた事で社長、次男と対立し長男が会社を出てしまった。
そしてLSと対決すべく新会社を立ち上げ、さらにLSのエアガン製品と意識的に競合共作を繰り返してしまったのである。
その会社こそMMC(ミリタリーモデルカンパニー)である。
10ヶ月から1年間ではあったがこれによりLSも自分の会社から分裂した会社を許す訳にも行かず競合共作の製品を出さざる得なくなりマルイと戦う事が出来なかった。
さらに追い討ちが掛かってしまう。
バブル景気である。
表は東京マルイ、裏はMMCと戦っていたら会社としての体力がだいぶ削がれてしまった。
バブル景気は過ぎていた時期(1993年頃)では有ったが当時はバブル崩壊しても「まだ景気は持ち直すだろう」という考えが大半だった。
しかもLSは東京マルイとのシェア争奪戦とMMCとの内紛によりだいふ会社の体力が削がれていた。
そこにメインバンクが新工場建設の計画をLS持ち込んだ。
そしてLSはそれを呑むしかなかった状況におかれてしまった。
「新工場建設しなければ会社の業績も立て直せない!」
とでもはっぱをかけられたのがか、それとも、、、
そして銀行からの融資により岐阜駅前に新工場用の用地を購入した所でとうとうLSの体力が無くなってしまった。
資金繰りが立ち行かなくなってしまい、銀行からの融資返却が出来ず1994年3月に倒産してしまった。
俗にいう銀行からの貸し剝がしによってLSが社運を賭けた第四世代エアコッキングはM93Rが最後になってしまった。
それではまた!
一部訂正しました。